円谷プロ
40年前は小学校に入って間もないころ。
古い話とお思いでしょうが、そのころ始まったヒーローもの。
ウルトラ「Q」はもっと古いですね。そのころ特撮技術で一世を風靡したウルトラマンの生みの親、円谷英二さんの故郷、福島県にやって参りました。
福島空港にはこのように実際に使った撮影用の車や、衣装、ウルトラマンの着ぐるみ、怪獣のモデル、外にはなんて言うウルトラマンか知りませんが、大きなモニュメントがあります。
福島空港は国際空港でお隣韓国との便があります。そこには「カネゴン」なんかあるようです。
福島県の白河、須賀川地方は円谷と書いて「ツムラヤ」、とか、「ツブラヤ」とか読み方があって、ポピュラーな名字だそうです。
川を見ると覗きたくなる習性があって、覗いた川は「阿武隈川」でした。川のほとりに「安積屋」と言うお蕎麦屋さんがあって、そこでいろいろ話を聞きました。そばもおいしくて更科(殻をむいたもの)そばと古式(殻ごとひいたもの)そばの両方そばを頂きました。
ウルトラマンは街の誇りだと同じ年くらいの女性の方がおっしゃってありました。
ウルトラマン世代って何歳くらいまでなんでしょうね。
円谷さんは1901年生まれ。おばあちゃんもそうだった。
それから戦争を乗り越えて、カメラマンとして活躍され、50歳の時にあのウルトラシリーズを出されたとか・・・。
すごい・・。