1番札所
今日のニュースで『管直人前首相が3年前の57番札所から次をあゆみはじめた・・』とありました。お遍路の修行です。
八十八か所めぐりとは、もともとは天竺(インド)でお釈迦さまが霊鷲山で仏法を説いているさながらから、弘法大師がゆかりの四国霊場で仏法を唱え出したのが始まりとも・・・。八十八か所めぐりとしたのはず〜と後のことで、八十八にしたのも弘法大師がそうしたわけでなく、いつしかそうなったと言った方がいいくらいのレベルで決まったようです。真実はわかりません。
その八十八か所の起点となる一番札所が霊山時(りょうぜんじ)です。
鳴門海峡を渡り鳴門市に降り立ってすぐの蓮根の畠と酢橘の山を抜けるとそこに一番札所はあります。上方から見てのことなのか、「まず最初にここから始まる」みたいに自然とここが一番札所になったようで、今まで一番はなになに、2番は何々ときっちり順を経て行かねばならないものと思っていました。しかしお遍路とは精神的に大変厳しい修行と言えます。
旅のいでたちにほぼ近いようにアレンジメントされた衣装で白装束です。(白衣、無垢、死に装束)昔なら山道の長い距離を歩き草木を食い川の水を飲み一心不乱に願いをかなえるために歩きとおし念じる・・・すさまじい。
今や車で移動でき、道も良くなり大変時間短縮になっていることだと近所の蕎麦屋さんが話してくれました。
ここにはお遍路グッズなるものもありましたが、気安く写真にすることは気持ちの面でできませんでした。皆さん大変な気持ちでここに参っておられます。私は軽く頭を下げるにとどまりましたが、大きな仕事が叶わなかったり、日常の憂さから離れることができず自分を見失いそうないなることがあったら、このたびは何かを教えてくれるに違いありません。
たまたま、鳴門―板野間が通行止めで、一般道を走った際に立ち寄った蕎麦屋さんでのお話でした。隣が立派な一番札所「霊山寺」です。トラックを邪魔にならないところに留めしばし休憩を兼ねた一番札所でした。
私は西国三十三か所巡りは2回お参りさせていただきましたが四国八十八か所巡りはまだお参りさせていただいていないのですが『遍路グッズなるものもありましたが気安く写真にすることは気持ちの面でできませんでした。』とおっしゃる山口さんの言葉に人を思いやる真面目で優しい気持ちが伝わってきました。そしてそんな山口さんが心の中で念じられたことが叶いますようにと私も心の中で願っています。
レモン様 信仰心を大切にしてらっしゃって、そのためにいろいろおこりうる困難もきっと助けてくださっているんですよ。誰もがいろんなところで知らず知らずのうちにご自身で救う道を作っていっているんでしょうね。それが人の出会いであったり、行動のタイミングであったり。毎日が感謝です。