皆さんはご存知でしょうか。前に楢山節考でもあったように、世界中で年老いた身内を山に捨てるという風習がありました。
長野県の西に位置する冠山では江戸の時代から伝わる逸話があります。非常に現代に通じるものがあります。
年寄りは働かずして口支えが無いから、街の租税は減る一方・・・・そう思った殿さまが60歳を超えた姥は山に捨てるように条例を出しました。つまり消費してもらっては困るということです。息子はその自治体の役人で言うことを聞かなければなりません。しかし実の母を山にすれるなんてことはできません。泣きながら背負ッて家の帰り家の床下に母を隠していました。
そんな時その頭の悪い殿さまが外交の一つに無理な注文を突き付けられました。『燃えた灰で縄を綯ッて見よ』と。頭を使わない殿さまはすぐさま部下に言います。その部下(官僚)は床下のおばあさんに聞きます・『潮水で固めた縄をもやすといい』と答えをくれます。なんと縄の形はそのままにまるで灰で綯ッたように。すると今度は曲がりくねった穴に糸を通してみよと。(昔の外交ってなぞなぞだったのですかね)殿さまは官僚にいい、官僚はおばあさんに聞きます。『出口に蜜を塗って蟻の胴に糸を結び一晩待て』・・・と。
殿さまは手柄を自分の物にしましたが、実質は官僚の母、おばあさんの存在を無駄にしません。それ以来姥捨て条例は無くしました。
先輩方に学ぶものはたくさんあります。税金の無駄になるといういいわけで新たな租税義務を課してきます。まるで今に通づることばかりです。
姥捨て山から中央道を南下していくと木曽駒が岳があります。アマゴ釣りで10年ほど前よく行きました。ふもとから山頂までこう配がきついので全部見えます。標高の高い山です。
お店の年めいた人が『今年は燕が来ない』と言ってました。遅れているのか・・。異変でしょうか。暦はなくとも季節の移りを知っている人なんですね。
ちょっとドライブの一こまでした。
長野県の西に位置する冠山では江戸の時代から伝わる逸話があります。非常に現代に通じるものがあります。
年寄りは働かずして口支えが無いから、街の租税は減る一方・・・・そう思った殿さまが60歳を超えた姥は山に捨てるように条例を出しました。つまり消費してもらっては困るということです。息子はその自治体の役人で言うことを聞かなければなりません。しかし実の母を山にすれるなんてことはできません。泣きながら背負ッて家の帰り家の床下に母を隠していました。
そんな時その頭の悪い殿さまが外交の一つに無理な注文を突き付けられました。『燃えた灰で縄を綯ッて見よ』と。頭を使わない殿さまはすぐさま部下に言います。その部下(官僚)は床下のおばあさんに聞きます・『潮水で固めた縄をもやすといい』と答えをくれます。なんと縄の形はそのままにまるで灰で綯ッたように。すると今度は曲がりくねった穴に糸を通してみよと。(昔の外交ってなぞなぞだったのですかね)殿さまは官僚にいい、官僚はおばあさんに聞きます。『出口に蜜を塗って蟻の胴に糸を結び一晩待て』・・・と。
殿さまは手柄を自分の物にしましたが、実質は官僚の母、おばあさんの存在を無駄にしません。それ以来姥捨て条例は無くしました。
先輩方に学ぶものはたくさんあります。税金の無駄になるといういいわけで新たな租税義務を課してきます。まるで今に通づることばかりです。
姥捨て山から中央道を南下していくと木曽駒が岳があります。アマゴ釣りで10年ほど前よく行きました。ふもとから山頂までこう配がきついので全部見えます。標高の高い山です。
お店の年めいた人が『今年は燕が来ない』と言ってました。遅れているのか・・。異変でしょうか。暦はなくとも季節の移りを知っている人なんですね。
ちょっとドライブの一こまでした。
「楢山節考」は確か30年以上前に見た映画だと思いますが山に捨てられたお婆さんをカラスがつつくシーンを思い出して自分が今まさにその年齢を迎えて見につまされました…そして「姥捨て山」の記事を読んでつくづく「今の時代に生まれてきて良かった」と改めて感謝の気持ちでいっぱいになれました。ありがとうございました。
MAMAはまだお若いですよ・・・現代は近所や友人や横とのつながりを大切にしなければ世間を冷たく感じて「つつかれてる」と判断する若者も多いかもしれません。現代版楢山節考にならないよう人を大切にしていきたいと教えられる物語です。