北陸道、敦賀インターを降りると市内、港、福井方面とややいたずらっぽく分岐する道がある。市内に抜ける道とフェリーのある港を分け隔てている金ヶ崎。歴史は1300年時分にさかのぼるが南北朝時代、気比氏冶の居城であった。ここに足利勢が攻め入り新田義顕いか300名もの命を落とす戦さがあった。さらに1500年ころ織田信長がここを落とし北陸へ軍を伸ばす際、近江の浅井氏と朝倉氏が団結し信長勢を窮地に追いやった。このとき金ヶ崎城で殿(しんがり)を務めた藤吉郎(豊臣秀吉)がこの難関を救い、信長が帰郷できたことから安宅のせきと同じ難関突破の意を祭る金崎宮がある。
戦の舞台となってしまうのは金ヶ崎の地形にある。太平記では「かの城のあり様、三方海によって岸高く岩なめらかなり」と。
金崎宮の後ろを回って月見御殿から展海広場へ向かい、息を整えたところで敦賀湾を見る。確かに切り立つ岩肌は追手を拒む城のようです。
本丸の跡を残す石垣や起伏を利用した天然の城壁は今も当時を物語るのに足りる様相だ。
戦を遠ざけた何千本もの桜が春に満開となる。その小枝を交換する花換祭り。いまや花の交換がさも美しくめずらしく、金崎もう一つの顔として恋の縁結びの神様として市民の憩いの地となったいる。
戦の舞台となってしまうのは金ヶ崎の地形にある。太平記では「かの城のあり様、三方海によって岸高く岩なめらかなり」と。
金崎宮の後ろを回って月見御殿から展海広場へ向かい、息を整えたところで敦賀湾を見る。確かに切り立つ岩肌は追手を拒む城のようです。
本丸の跡を残す石垣や起伏を利用した天然の城壁は今も当時を物語るのに足りる様相だ。
戦を遠ざけた何千本もの桜が春に満開となる。その小枝を交換する花換祭り。いまや花の交換がさも美しくめずらしく、金崎もう一つの顔として恋の縁結びの神様として市民の憩いの地となったいる。
釣りに、遊びに、よく通る道ですが
じっくりと観たことがありません。
灯台下暗し。 とはこの事です。
次釣行時は散策してみます・・・
先日は革靴で歩いてしまって靴に悪いことをしました。スニーカーでゆっくり1時間のトレッキングコースです。眺めもいいし一度たづねてみてください。すばらしかったです。