大阪府と奈良県の府県境にまたがり、かつては「ふたかみ山」と呼ばれた二上山のふもと、太子町を歩いてきました。
まだ、紅葉の季節には早く、木々の色づきは中途半端でしたが、たわわに実った柿や風になびくススキの穂が、十分に秋を演出してくれていました。
太子町といえば、その字からもわかるように聖徳太子ゆかりの地です。そして、聖徳太子といえば、その墓所がある磯長山(しながさん)叡福寺が有名です。
聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳は、直径約55mの円墳で、鬱蒼とした樹木に覆われていますが、なぜか松や笹が生えない、鳥が巣を作らない、大雨が降っても御廟の土が崩れない、御廟を取り巻く結界石は何度数えても数が合わないなど、七不思議があるそうです。
宮内庁が天皇家の陵墓として指定したため、現在は立ち入り禁止になっていますが、かつては横穴式の石室内部には入れたそうです。石室の中には3基の棺が安置されており、中央の石棺には母、東と西の乾漆製の棺には東に聖徳太子、西には妻が葬られているそうです。
聖徳太子ゆかりの叡福寺を散策した後、同じ町内にある割烹でお昼をいただきました。
こんな場所に、こんなお店が、といっては失礼になるかもしれませんが、なかなかこじゃれたお店で料理もおいしく、ランチタイムから賑わっていました。
店の名は「懐食 吉田」。我が家の近く、大阪狭山市から太子町へ拠点を移されたそうです。この日はランチメニューでしたが、時間があれば、ゆっくり懐石料理をいただいてみたくなりました。
聖徳太子は実在しなかったという説を唱える学者もいるようです。
邪馬台国同様、諸説あって面白いのですが・・・
果たして捏造はどの時代に行われたのか?
自ら石器を埋めた学者もいましたね。
ミスター・オータムタイム様
遥か昔のこと、いまでは知る由もありませんが、叡福寺にある聖徳太子の墓所も、そうではないという説があるそうですね。
ただ、その説がはっきりと証明されるまでは、我が家の近くにそういうゆかりの地があるということにロマンを感じて、また散策を続けていこうと思っております。