1957年2月10日、神戸港へ向かうデンマークの貨物船、エレン・マースク号が日ノ岬沖を航行中、徳島県浅川の機帆船「高砂丸」が炎上しているのを発見し救助ぬ向かう。
風速20mを超える大荒れの海に救命艇を下ろし、高砂丸の乗組員3人の中で唯一の生存者を救助するが、疲労困憊していたために本船へ乗り移る際に縄梯子から転落してしまった。それを見たエレン・マースク号の機関長、ヨハネス・クヌッセンさんが自らの命を顧みず、大荒れの海に飛び込み救助に当たるが、そのまま波にのまれ高砂丸の船員、3人と共に犠牲となった。
事故の翌年(1958年)、勇猛果敢なクヌッセン機関長の行動をたたえ日ノ岬パークにクヌッセン機関長顕彰の碑と胸像が建てられ、この一角をクヌッセンの丘と呼ぶようになりました。
また、クヌッセン機関長の遺体が打ち上げられた田杭には、機関長の供養塔と救命艇の保管庫が建てられています。新しく建てられた保管庫には、事故当時の救命艇がそのまま保管されており、見学も自由なので、釣りに出かけられたときに覗かれてみてはいかがですか?。
風速20mを超える大荒れの海に救命艇を下ろし、高砂丸の乗組員3人の中で唯一の生存者を救助するが、疲労困憊していたために本船へ乗り移る際に縄梯子から転落してしまった。それを見たエレン・マースク号の機関長、ヨハネス・クヌッセンさんが自らの命を顧みず、大荒れの海に飛び込み救助に当たるが、そのまま波にのまれ高砂丸の船員、3人と共に犠牲となった。
事故の翌年(1958年)、勇猛果敢なクヌッセン機関長の行動をたたえ日ノ岬パークにクヌッセン機関長顕彰の碑と胸像が建てられ、この一角をクヌッセンの丘と呼ぶようになりました。
また、クヌッセン機関長の遺体が打ち上げられた田杭には、機関長の供養塔と救命艇の保管庫が建てられています。新しく建てられた保管庫には、事故当時の救命艇がそのまま保管されており、見学も自由なので、釣りに出かけられたときに覗かれてみてはいかがですか?。
海の男に国境がないのですね
商船は特にそうなのでしょうか
くまさん
ほんとうですね。でも、荒れ狂う海へ飛び込む勇気には頭が下がりますね。