豊川稲荷、由来
本殿に鎮守護法の善神として、右肩に稲穂を担い、左手に願い事がかなうという如意宝珠を捧げるお婆の豊川柁呮尼真天トヨカワダキニシンテン(豊川稲荷:円福山 豊川閣妙厳寺)を祭ってある。
豊川駅から歩いて五分のところに重厚感漂ういくつもの建物がそれだ。仕事でこの近くに来たので待ち合わせまで40分ほど時間があったのでちょっと立ち寄ってみた。そこにあるパンフレットなどでにわか歴史学をしております。
境内はいくつかの建物に区分されそれぞれに説明書きが添えられてある。
この敷地内では一番古いといわれる山門は1200年ごろに今川義元公寄進により建立され阿吽の大きな形相が立ちはだかっている。今の阿吽は昭和41年に督信者によって寄進されたものらしいです。
山門に入る前の表参道はお土産物売り場が連なって、商店街の一歩手前くらいの町並み。浅草の仲見世に比べるとひっそりとしたものである。ここで売っている宝珠饅頭はぜひとも家で食ってみたい・・・と思って即購入。土産を持って境内に。
山門をくぐると鐘楼堂が見える。戦時中はこの釣鐘も持っていかれたということだが今はよみがえって、NHKの「ゆく年くる年」では何度となく登場している。
その横に法堂がある。 東海義易禅師(寒厳禅師)の建立とされている。かつて、神仏習合の時代にお寺の鎮守としてお稲荷さんをまつっていてお寺と神社が混在していたものが、神仏分離令によってお寺か神社かどっちかをはっきり分けなくてはならなくなり、豊川稲荷の場合、お寺としての選択がされたもの、と思われます。
現在もお寺の境内にお稲荷さんがまつられ、それが豊川稲荷として信仰されているということらしいです。
お寺と神社がすぐ隣にあるところが多くありますが、それは神仏習合の名残だといえると思います。「神様、仏様!!」とお願い事をとなえるのもそうですね。きっと。「神様仏様、大きい魚が釣れますように・・」。
稲荷神のつかわしめ(神使:シンシ)を狐とすることは広く知られていますが、一説には、稲荷神として祭られた食物神の御饌津神(ミケツカミ)を「三狐神:ミツケカミ」と解釈したことによると行っております。狐の好物とされる好物とされている油揚げが稲荷神に供えるようになったのも、狐が稲荷神の神使であることに由来しています。それを端に生じた「稲荷寿司」は豊川稲荷の門前が発祥地とされているということです。
時間がなくなって霊狐塚はまで回ることはできませんでしたので、次回来たときに行ってみることにしましょう。駅から近いので楽ですね。
いつTDLですか
次に私が関東に行く日と会えばいいのですが・・
でも「神様仏様」でTDLが晴れますように・・・・と祈ってください。
きっと大丈夫。
天気がいまいちでも心が晴れてれば一番!!
楽しく家族孝行してください。
Yさん
秋晴れの豊川稲荷
最高の時間ですよね
それも快晴で・・・
Yさんの晴れ男の異名は健在すね(!!)
反面私と言えば雨男(悲・・・)
連休のTDL旅行は台風???
全てキャンセルになるかも(涙・・・)
一緒に行きませんか?
恐らく台風もYさんの陽気に恐れをなして
何処かに行ってしまうことでしょう(笑)